ほこりの厚みは
今日は自室の片づけをした。
片づけを頻度よくしないことの良いところは、
思わぬところから思わぬものがひょっこり現れるところである。
部屋の主が気づかぬだけで、ずっとそこでひっそりと、
同じだけ時を生きていながらも自身に宿った時の空気を守り続けていたのだと、感じ得ずにはいられない。
数冊のポケットアルバムがとある袋の中にあった。
それらは当時の漫画雑誌の付録だったものだ。
表紙の絵柄に懐かしさを覚えながら中を覗くと、小学生の私がいた。
よくもまあ小学生ながら写真嫌いなことを顔のすべてで表現しているものだ。
偶然写りこんだものや、カメラマンさんが声をかけずにシャッターを切ったものでしか笑顔が見れないとは。
それからノート。大小さまざまな大きさが残されている。
私は手紙を処分できない質なので、交換ノートももれなく取ってあるのだが、
まさか日記をつけていて、そして捨てていなかったとは。
四半世紀に満たぬ人生の中で日記に挑戦した記憶はあるにはあるが、大体どれも三日坊主だった思っていた。
表紙をめくると幼い字が躍っている。
内容からするに、先に見つけたポケットアルバムと同じような時間らしい。
文字となり躍っている私はとても、とてもエネルギッシュだった。
楽しみ、悲しみ、時には怒ってもいたがありとあらゆる方向に向かって感情を爆発させていた。
嬉しいことに対して上機嫌になり、嫌なことには不機嫌になっていた。
昔の自分の表記物を見る気恥ずかしさより、眩しさが勝っていた。
私はこんなにも、感情に素直になれていたのか。
取り戻したいと願った自分は、そんなに遠いところで手を振っている訳ではないのかもしれない。
この部屋のどこかでそっと、でもしっかりと息をしているのかもしれないと、私は部屋を見渡した。
(なおここまですべて部屋を片づけないただの言い訳である)